2008-01-01から1年間の記事一覧

岡倉の著作とへーゲルの『世界史』や『美学』の類縁性は一読して容易に看取される。これは以前にも書いたことだが(拙論「シンプリシチー」、『建築とリアル』、鹿島出版会、1998所収)、たとえば『茶の本』における岡倉の東洋史はインドに出自し、支那にお…

岡倉覚三の『日本の目覚め』(村岡博訳、岩波書店)には岡倉のいう「江戸三学」についてたしか書いてあったと思い、あらためて見ると「国学」の部分では本居宣長は苗字の「本居」とだけ、それも一度しか登場していない。つまりほとんど言及されていない。ち…

その看板屋のおにいさんは「簡単ですよ」といって、高いビルの屋上から袖看板へと命綱もつけずにひょいと飛びのった。わたしは少しだけ後悔した。高いところの採寸にはレーザーを使う方法もあるのだが、「あんな高いところどうやって採寸するのか、いやぁ見…

『古事記』(福永武彦訳、河出文庫、2003)の第一部では、「米/稲種」に関する話は二度ほど登場する。一度目はアマテラスオホミカミ(天照大神)とタケハヤスサノヲノミコト(建速須左之男命)による「うけいの勝負」のあとである。うけいの勝負に勝ったスサ…

『テクトニック・カルチャー』には、日本語の「島(シマ)」と「締(シメ)」の関係について述べたくだりがある。ただし英語の“knot”や“nexus”との類縁が示されるだけで、詳述はされていない。 「島」は陸上から見るとただの陸の塊だが、海上で見ると交通の…

柴又帝釈天に散歩にいく。 帝釈天のうしろには日本庭園、さらにそのうしろには矢切の渡しと一体化した寅さん記念館なるものがある。それはいかにもという感じの公共建築である。箱物行政批判は、等閑な設計とも無意識において関係しているのではないだろうか…

「結構」という言葉が支那からきているとして、思い出されるのは12世紀初頭の宋代において著された『営造方式』である。ここでは伽藍建築のひとつの完成形がハンドブックとして表されている。有名な伽藍の断面図では、セラミック(瓦)のルーフワーク(屋根…

「“Der Stil”の既刊部分はテクスタイル、セラミックに主として充当されている。それにテクトニック、ステレオトニック(引用ママ)がつづくがこれらは建築的要素だけであり、最終刊で建築をその全歴史として検証する予定になっていたが、その四つの要素間に…

LIGHT YEARS AHEAD, THE STORY OF THE PH LAMP, edited by Tina Jorstian and Poul Munk Nielsen, color photography by Bent Ryberg, translated by Tam Mcturk, translation centre, University of Copenhagnen, Louis Poulsen, second edition 2000 ポー…

H.D.Harootunian, “America's Japan/Japan's Japan,” Japan in the World, Duke University Press, 1993, edited by Masao Miyoshi and H.D.Harootunian ハリー・ハルトゥーニアンによる戦後日本論である。”contemporary Japan's economic success”といった…