柴又帝釈天に散歩にいく。
帝釈天のうしろには日本庭園、さらにそのうしろには矢切の渡しと一体化した寅さん記念館なるものがある。それはいかにもという感じの公共建築である。箱物行政批判は、等閑な設計とも無意識において関係しているのではないだろうか。もっとも「設計にお金をかけるなど無駄遣いだ」という議論があるとすれば、その結果としての等閑な設計が、けっきょくは(税金を)さらに無駄にしていると言える。1970年代、「設計料」は独占禁止法に抵触する(自由競争にせよ)と言われだしたあたりが、もしかしたらひとつの転機だったのかもしれない。
ある経済関係の審議会では課題として上位に上がってくるのは「コミュニケーション」や「チームワーク」であり、「設計」や「プログラム」などは下位にとどまるのだそうだ。こうしたところは、昔からなにも変わっていないのですね。
帝釈天とか西新井大師などはちなみに江戸からみれば鬼門の方角に位置している。ただし京都の延暦寺の位置に相当するものは、つまり鬼門よけに相当しているのは、浅草の浅草寺であるという。
足立における西新井大師は、葛飾における帝釈天に相当しているように見える。北野武さんは西新井大師近くのご出身とお聞きする。「足立区のタケシ」は「葛飾柴又の寅さん」に匹敵するといえよう。
オフィス北野のみなさま、北野記念館はいかがですか(揉み手+擦り手+上目遣いのスマイル)。