イコノグラフィーやイコノロジーがあるように、ヒスリオグラフィーやヒストロロジーがある。ヒストリオグラフィーやヒストロロジーがしっかりしていない場合、歴史家は単なるイデオローグか与太話ヲヤヂということになろう。
アドリュー・リーチ(Andrew Leach)によれば、マンフレッド・タフーの有名な効力批評(La critica operativa, operative criticism)批判は、マリオ・トロンティ経由のマルクスイデオロギー批判から来ているという。トロンティはアントニオ・ネグりの先行者である。タフーリがベネチア大学にやってきたとき、ネグリは目と鼻の先のパドバ大学で教鞭をとっており、ベネチア学派のメンバーネグリともども『反計画(Contropiano)』の編集に関わっている。しかし誤解してはならないのは、タフーリの「反計画」主義はあくまでイデオロギー批判の文脈および効力批評・批判の文脈におけるヒストリオグラフィー(/ヒストロロジー)の問題にあり、つまり建築史と建築史家の問題であって、建築と建築家における計画性を批判しているわけではまったくないということである。建築史における分析性と建築の計画性は、根本的に異なるものである、という。歴史は現在における過去の表象であるが、計画(前方=未来への投射/pro・ject)はこれとまったく矛盾しない。建築家は建築史家であり得るが、その逆はなく、またあってはならない、というのは逆説的にも建築史を道具主義の篭絡から開くことであろう。ここでタフーリが明確な標的としているのは、ブルーノ・ゼヴィ、パオロ・ポルトゲージ、ニコラウス・ペヴスナー、そしてジークフリート・ギーディオンといった「建築史家」らの効力批評である。
もうひとつ、「弱い歴史」という考えはフロイトから来ている。これはフランコ・レッラ経由である。レッラはビアトリス・コロミーナの『マスメディアとしての近代建築』においても登場する。1970年代の「リアリズム論」ではレッラとともにジョルジョ・アガンベンの名も見える。
「弱い歴史」のおおきな特徴は二つある。ひとつは物語性より断片性(精神分析における自由連想との関連で言っているのか)であり、もう一つは科学的因果関係よりも兆候を読むということにあるという。もっとも「歴史」を「記憶」と言い換えると、歴史家の分析期限を設定するかどこまで耐えられるか(Analysis terminable/interminable)ということもあるかもしれない。