晩年の『ベネチアとそのルネサンス(Venezia e il rinascimento)』はタフーリの著作で最も内的に複雑であったと、リーチは述べる。タフーリ自身の言葉によれば「あらゆる規範的歴史に反対する」という野心的な著作であり、また「ヒストリオグラフィー批評の手段が歴史実践にあらかじめ含まれ、それがいかに歴史自体を脱構築するかを示すもの」(リーチ)であったという。
いっぽうで『不協和な調和(Discordant Harmony)』というアドルノ的タイトルを持ったアルベルティ論に対しては、リーチはアンソニー・グラフトンのアルベルティ論での主張に同調している。これはアメリカやドイツの歴史学のいわば実証主義とフランスやイタリアの歴史学のいわば方法論主義の相違も、あるかもしれない。
「ウェストフォールの説明に対するタフーリの挑戦はこの分野を賦活したが、しかし方法論の問題に包まれることになり、歴史家たちは今度はそれを紐解いて脇に置かねばならなくなっただろう。現代建築の位置を理解しようとした世代に彼が欠かせない存在になったようには、ルネサンス建築の歴史家たちにとって、彼はならなかった」(Leach Ibid. p83)