京都、徳力みちたか氏(西本願寺絵所13代だそう)に版木等をいろいろ見せていただく。「伊藤若冲の現存する2枚の版木はミホ・ミュージアムに貸出中で残念ながらいま見られませんが、これはですね、角倉了以の書簡です」。
脈絡のない話になるが、「家庭教師で行ったごく普通の家にあった絵が伊東深水だった」という話をきかされたことがあり、国宝とか文化財とかなにがしかの工芸品がそこいらにある街では、まぁある。


三条通りが昔と変わったという話をきいて、歩く。ここはもともと町屋や戦前の近代建築が残っていて立地もいいという、観光資源としてのポテンシャルの高かったところである。欲を言えば週末くらい歩行者天国にしてもいいように見えるし、電線の地中化もむかしより安くでできますぜ、京都市景観・まちづくりセンターさん。
脈絡のない話になるが、今年から来年にかけて、着物を着て観光すれば各種料金が無料または割引になるという試みもきいた。


またも脈絡のない話かもしれないが、妙喜庵(臨済宗)待庵を拝観する。以下は個人的な印象。
こうした茶室はほんらい仮設的な建物なのか、壁や屋根の基本骨格を竹で編み、地面に敷いた束石に置かれただけである。強風で飛ばされそうにもかかわらず400年以上も存続してきたのは、妙喜庵という宿主に固定され、また周囲の樹木や生垣が防風しているからなのだろう。特徴的な連子窓の連子は、木舞壁の土をかきとった部分に露出している竹によるもので、そこから窺える壁厚はわずか3センチ程度という薄さである。開口四隅はクラック防止のためにアールをとっており、これは室内室壁のアールに対応もしている。その土壁は外面は平滑に仕上げながら内面は粗く仕上げるという、通常とは逆の操作がなされている。一連の開口は大きさ、比率、高さがすべて微妙にずらされており、その一つはわざわざ竹の柱型と重なるように配されるという計算ぶりである。柱型は内部の畳の長辺と短辺に対応してほぼ1対2のリズムを形成しているものの、これらもすべて微妙にずらされている。茶席の二畳台目はよく言われるが、全体としてみると平面形状は水屋から控え、茶席、床と、綺麗な比率をなしながら螺旋状に展開している。襖は廻縁も手掛もなくシンプルなデザインである。こうしたデザインやpicturesqueでrusticな構成がモダンであると評価されてきたのかもしれないが、自意識過剰なほどに操作的にも見える。まるでミケランジェロの作品のように。
たまたま行われていた青蓮院(天台宗)の青不動御開帳を拝観する。この寺院には伝・小堀遠州の庭園もあるが、遠州風庭園は夜間ライトアップをするといささかべたな観光地に見えなくもない。青い光はもしかしたら青不動にかけているのかもしれないが、昔の「あお」と現代の「青」は、同じ色であっただろうか。


そうだ、京都行こう、JR韜晦。