ついさいきん知りました。『朝日新聞』2008年2月15日(金曜日)夕刊。
長谷川先生ありがとうございました。


ところで同書にはまたこんな記述もある。
「この点でECの政策は1970年代のアメリカの反独占法の規定をさえ超えていこうとしているように見え、そしてかつてのアメリカにおいては建築家協会は設計料の固定化を維持する権利を失ったのだった。職能のこの不安定化はECによる加盟国への圧力によって間接的に行使され、これらの国では今度は建築家の法的制度を問題にして規制緩和しようと、法律改正を模索してきている。今日ではこの戦略はスペインやイギリスやオーストリアといった多くの国で現れてきており、他のEC諸国がやがてこれに続くことは想像に難くない」(503-4)頁
「1993年7月にスペインの建築家ラファエル・デ・ラ・オスは当時進行中だったスペインと他のEC諸国の建築教育のリストラについて次のような公的評価を下している。ちなみにこのリストラは見かけ上の効率を改善し費用を削減するために建築教育の期間を短縮するというECの戦略だったが、それにもまして学生が成長するために、あるいはこの分野において十分な知識が与えられるにはどれほどの時間が必要かをほとんど考慮せずに、小役人的改革として執行されたものだった」(505頁)
「デ・ラ・オスが示唆するように、このリストラの多くは自由放任主義的なグローバル経済や公共領域のますますの私物化や、言うまでもなく建築家の権限を制限しようとする施工業者や不動産企業に起因するのかもしれない。とともに建設業の集中化もますますの生産の単位化を志向しており、こえに加えて国際資本の流動化が建築形態を批評的に深化させることを嫌う状況を生み出しているのかもしれない」(506頁)


これにデイビット・ハービー的な分析が続き
「この経過から結果したもののなかでも見過ごせないものの一つには、福祉国家の没落と多国籍資本主義の登場があるだろう。これらの変容はおそらく広範な範囲に及ぶ価値観の深い危機の兆候にすぎない」(508頁)、


そしてフレドリック・ジェイムソン的なポストモダニズム批判
「それゆえ近代化の増徴しゆく過程が衰えることがない一方で、理想としての近代性という概念はその信頼をすでに失っている。「無条件に近代的であらねばならない」というマラルメのスローガンは〈新しきもの〉がもはやこうした楽天的ではあり得ない時代にあって、何ら武器を与えてくれるものではあるまい」(508頁)


のあとに
「こうした傾向とは反対に、農業と同じく本質的に時代遅れであり、なおかつ時間に風化されないものとして根付いていく傾向を持つ建設行為において、不均等な開発という現象が救済的な力となるのである」

という自らの立位置を明確に示している。


ところで日本もアメリカやヨーロッパの後を追うことになるのだろうか。