西谷啓治著作集 第4巻 創文社 1987


「ニシダ・ニシタニ・キョウトスクール」の西谷啓治の著作である。前編には第二次大戦後まもなくに書かれた宗教論、後編には戦時中に書かれまた「近代の超克」や「世界史の哲学」といった議論の一角を形成していた文字通り「世界史の哲学」および、戦後まもなくに書かれた文章が掲載されている。戦後-戦中-戦後という構成になっている点では三部構成とも言える。
京都学派の学風として述べられるものに「自由の学風」というのがある。自由とは何かと問われれば、他に拘束されない、つまり他から離れてある、つまりab・soluteと言いそうであるが、西谷の文を読むとそれは歴史的に見える。西谷はベルリン大学の創設について「(この大学は)今までの大学が神学科を中心としていたのに対して哲学科というものを中心に置いた所にある。ところがこのことはただ科目の問題ということだけでなしに、大学の根本精神というものが全く違ったものになったといふことです。といふのは、哲学科が中心だといふことは、大学の研究といふものが自由の立場での研究であるといふことを意味しているわけなのです。神学科を中心とする精神は、キリスト教の信仰できめられた教がどこ迄も根本であつて、学問的研究はその枠から出ることができないという精神です」「哲学といふものには枠がない。哲学は、研究する以前に何かを真理と信じてそれから出発するといふようなことはしない。つまり前提のない立場、前提を決めてかからない立場である。信仰の立場から真理として如何に深く信じられているものでも、それを前提として研究するのは独断的、ドグマティカルである。自由な立場で研究した結果真と認められない限り、すべては疑がふべきものである、といふのが哲学の立場であります」(44頁)と述べる。つまり神学に代わるものとして哲学を置くということであり、これは西谷のいう「世俗化」とも関係している。それにしても例示されているベルリン大学が、西谷自身が説明しているようにナポレオン戦争のトラウマから出てきたものであったとは。
前半の宗教論では宗教哲学に造詣が深かった西谷らしく宗教の特質が手際よく述べられている。宗教にはユダヤ教のような民族宗教と、仏教やキリスト教イスラム教のような世界宗教があり、前者が属人的で世俗的であるのに対し後者は普遍的・個人的、また創始者が存在し、経典と教団があり、そして超世俗的であるという。中世においては世俗的生活面をも含め宗教によってすべて統一されていたが、近世において「民族」が「国民」に変貌していく過程で国民国家が登場し、「世俗化」が始まったという。これはまた「国家の世俗化」でもあり、逆説的にもその結果国家がその手中に収めきれないものとして当の(世界)宗教が残されたとされる。信仰ではなく理性に基盤をおく近世以降の文化も宗教と対比させられる。
沖縄・南西諸島には仏教が入ってこなかったので当地には近世(中世というべきではなかろうか)がなく、『古事記』『日本(書)紀』の世界がそのまま残っていたということを島尾敏雄は書いていたが、西谷はその仏教が無力であるのは仏教には近代がないからであるという。仏教とキリスト教を対比的に論じたあたりは戦後という時代を感じさせ、また同じ世界宗教といっても仏教とキリスト教ではその分布範囲に圧倒的な違いがあり、この相違の原因の一つを仏教の「慈悲」概念とキリスト教の能動的な「愛」概念の相違に西谷は見ている。
後半部分では「自我は空である」という謂いが登場するが、これは「主体は空である」とむしろ言うべきであるように見える。世界の内側にその否定として主体をおき、それが空であるとは「否定の否定」である。ここにおいてヘーゲルが超越的な神的理性と合一化して肯定へと転ずるのに対し、仏教においてはこの「否定の否定」をもさらに否定し、その「空」をも否定すると、西谷は述べる。このモチーフはまた後編の「世界史の哲学」では世界と国家の関係に翻案され、繰り返されている。
さて悪名高い「世界史の哲学」である。大雑把に述べると西谷の世界史は、地中海の時代、大西洋の時代、太平洋の時代と続き、太平洋の時代において世界は一体化するとともに日本の登場によってヨーロッパの円環が破られるのであると述べている、と言える。こうした世界史の見取図自体は近年の世界システム論やグローバルシティ論をも髣髴させるがしかし、マルクス主義経験者ならやるだろう物象化分析や近代化分析といったものはそこには当然ながら全くなく、世界システム論者ならやるだろう経済構造分析も全くなく、ヘーゲルやランケを批評的に読みながら思弁的に述べていくその記述は裏付けのない仮説のような危うさがあるように見え、そうした仮説が陥りやすいものとしての与太話すれすれの部分もあるように見える。またその思弁的記述もギリシア哲学やドイツ哲学や仏教哲学などは一通り述べられるものの、アメリカ哲学についてはまったく触れられず、そもそもアメリカについての記述はほとんど登場せず、二回ほど登場するその記述もわずかなもので、そのうちの一つは「アングロサクソン」の延長としてあっさり片付けられている。たしか当時のアメリカの最大多数派は「アングロサクソン」ではなくドイツ系アメリカ人で、「ニミッツ提督」はドイツ系アメリカ人だったように思う。いずれにせよ記述の批判的対象となるのは「ヨーロッパ」であり、アメリカについてはほとんど興味がないように見える。これが「聖戦」イデオロギーの一角をなしていたとするなら、日本(海軍)はいったい何と戦っていたのだろう。面白いことだがアントニオ・グラムシの『アメリカニズムとフォーディズム』では「日本」はアメリカニズムのサブシステムのようなものとしてわずかに触れられている。場所が異なると見方はこれほど異なるということなのだろうか。
西谷の世界史の構図が大雑把に言って三段階となっているのもヘーゲルの三項性から来ていると思われる。地中海世界とは個別的多を許さぬ普遍性の世界(ローマ帝国はその典型だろう)であり、中世ののち登場する大西洋世界は単一的普遍性を許さぬ個別的世界(つまりヨーロッパという枠組における国民国家=国際社会)であり、そしてこう述べてくると太平洋の時代とはお約束どおり「一即多、多即一」の世界となる、と言われる。考えようによってはしかし、移民によって成立しているアメリカは「一即多、多即一」の世界とも言える。
さて本書の末尾には「批判の任務とファシズムの問題」と題された戦後まもなくに書かれた一文が挿入され、そこでニーチェの「生に対する歴史の功罪について」が効果的に引かれている。だが途中から雑文めいてきて、フランクフルト学派英米系のマルクス主義批評がやるような論究はなされない。
けっきょく西谷は仏教哲学者だったということだろうか。


余談。ドゥルーズ+ガタリの『千のプラトー』に登場する定冠詞付の「日本の哲学者」は道元のことだという。