ものの本によると、街路の幅と建物の高さの快適な関係は1/1から6/1なのだそうです。日本語の本ではないので、そのままでは日本には当てはまらないのかもしれませんが、これほどゆとりのある街路は日本では珍しいのではないでしょうか。
まず道路斜線による高さ制限は住宅系で1/1.25、それ以外では1/1.5です。単純に考えるとこの段階で日本の街路(道路)はほぼすべて快適ではないことになってしまいます。
すこし話はずれますが、建物の高さを制限するのに斜線を用いるのは、基本的には天空率という考えに基づいています。天空率とは魚眼レンズのように全天空を円としてみた場合、空の占める割合が何パーセントかを見るものです。まわりにその地点より高いものが何もなければ天空率は100パーセントになるはずです。最近でこそパソコンが普及して天空率計算そのものを、ただし多くは高度緩和として用いることも可能となりましたが、複雑な計算を瞬時にできなかった以前は基本的にすべて単純な斜線制限として用い、また今日においてもまだこの方法が主流だと思います。
斜線制限を含め天空率で建物の高さを規定しようとするのは、20世紀、それも後半以降のことだろうと思われます。それ以前、つまりエレベーターのない時代では、実用的な建物の高さはせいぜい5-6階が限度で、それ以上高い建物が建てられることはまずなかったからです。古い街並みはそれゆえだいたい軒線が揃っていて視覚的に統一感があり、逆に天空率という考えでパソコンを使用して可能最大高さを割り出して造られる最新の街並みは、この点では乱雑なものに見えます。また高さ制限には建築基準法によるものと都市計画法によるものの二種類があり(法体系上は後者が上位法)、その緩和手法(たとえば後者は総合設計制度などによる)の相違によって、さらにばらばらとなるのは今日では比較的知られてきていると思います。
日本の建築基準法は戦後にできていますが、アメリカの法がモデルになっているのでしょう。高さに関する考えだけでなく、難燃、不燃、防火、耐火といった安全上の概念も、おそらく戦後アメリカから輸入され、準用されてきたのではないかと思われます。乱暴な言い方をすればこんにちの日本の街並を規定しているのは、アメリカで生まれた考えともいえます。日本の風土や伝統はアメリカと異なるゆえ独自の法律の制定を、などと言っても、それはもう無理ではないかと私は思います。悪名高いシックハウス対策法/建築基準法第28条の2(失礼)のように、あとから日本の官僚さんがお造りになられた法律の方がなんだかひどいような気もします。
東京だと下町の方は道路が碁盤目状に走っていますが、山手の方は概して高低差があるからか、獣道のようなものがほとんど整備されずに、だいたいそのまま今日にいたっているのですね。そのうえ工事をすると第二次世界大戦末期に造られた旧日本軍の地下要塞が出てきたりして「あの話は都市伝説ではなかったんだな」と、思うこともあります。こうしたところの一方通行の狭い道路は車が一台通り抜けるたびに歩行者は端によけねばならず、そしてその端には電柱が立っていたりします。目的地に速く事故なく着くことを考え、道を歩くのが楽しいと思えることは、まぁあまりないのではないでしょうか。
もっとも適度に曲がっていることは変化があってピクチャレスクで面白い、という考えもあるでしょう。
新しく区画整理されたところでも、道を歩くのが楽しいと思えることはあまりないような気がします。地権者の方々を調停し減歩率を抑えと、気の長い地道な作業は大変だろうと思います。とはいえ発想が土木「街路」というより「道路」なのですね。


いい都市だなと思える都市は、道を歩いていて面白いと思えることが多いと思うのですが、いかがでしょうか。