暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
羽田発福岡行きの始発便に搭乗すると、午前8時ごろ、高度1万メートルで広島上空を通過します。夏の午前8時はもうすっかり日が高く上り、高度1万メートルからは地上がじつにクリアに見えます。太田川デルタの上に形成された広島という都市の全体像がつかめるとともに、ひとつひとつの建物はもちろんのこと、動いている列車や自動車まで識別できるのです。63年前のこの時間、この高さから見えたものも、これと似たものだったのでしょうか。
もうずいぶん前に読んだのでいささかうろ覚えですが、アメリカの教科書的な本では、1945年夏についてこんな感じに書かれていたと思います。連日連夜にわたって日本に砲爆撃をくわえたが、士気は一向に衰えないように見えた。いっぽうで太平洋の弾薬庫は底を尽きつつあった。弾薬を補充するには全米の工場をフル操業しても半年はかかる。その半年のあいだに強固な陣地を日本が築けば、硫黄島や沖縄での経験から見て、日本本土に地上兵力を投入した場合の米兵の被害は100万に達し、そうなれば戦争終結の見込みはなくなる。唯一の有効な手段が原爆投下であった。ディテールはともかく、だいたいこんな感じではなかったかと思います。原爆投下によって戦争がようやく終わった、やれやれ、あるいは他に方法はなかった、仕方がなかった、あるいは原爆投下によって戦争が早く終わり、無駄な犠牲者がこれ以上増えなくてすんだ、めでたし、めでたしなど、解釈の巾はあるでしょうが、こんな感じでしょうか。アメリカだけでなく、日本以外の国ではもしかしたらだいたいそうした解釈になっているのかしれません。複雑で難しい問題です。
もうひとつ個人的に面白いと思うのは、圧倒的物量を誇るように見えた米軍の兵站も、限界に達しつつあったということです。
日米開戦直後に行われた「近代の超克」という座談会に、「われわれはこれまでヨーロッパについてはよく研究してきたが、アメリカについてはあまり研究してこなかった」といった主旨の発言があったと思います。1940年代初頭、世界の中心はまだヨーロッパにあると思われていた時代、日本もアメリカも辺境扱い。それにしてもよく知らない相手と戦争を始めたのか。
などと考えていると、「を、安芸の宮島だ」となり、しばらくすると「当機はこれより福岡国際空港に向けて着陸態勢に入ります。どなたさまもお座席にお戻りになり、シートベルトをお締めになって・・・」というお約束の機内アナウンスが始まります。
ところで福岡の目抜き通りであるい天神・渡辺通りでは、夏の18時頃にもなると、その幅広の舗道にワゴン車が乗り付けてきて、これって道路交通法違反じゃないのかと思ってみていると、あれよあれよという間に屋台がどんどん並び始めます。観光資源として定着しつつあるのかもしれませんが、むかしの屋台はぜんぜん別のところに出ていたのではないでしょうか。アナーキーな秩序が面白いとも言えますが、いささかあざといという気もしなくもありません。