横浜ZAIMギャラリーでの「横浜市先駆的芸術活動助成事業/パスポートお願いします。アーティストによって創作された自己証明書」展のオープニングにお誘いいただく。オープニング・パネルトークでは、在米日本人アーティストと在日コリアン・アーティストのバトルトークでも炸裂するのかとも思いましたが、環境系パブリックアートのいたって穏やかなトーク

ニューヨーク時代の悪友のひとり・ミツオにお目にかかる。彼のアトリエは最も治安が悪かったころのディープ・ハーレムにあり、私も半月ほどでしたが「市街戦の気分で」そこで寝泊りしたことを思い出す。ハーレムもあれから変わったのでしょうね。

ところでパブリックアートという概念が登場し、一般化するのは戦後アメリカ、ジョン・F.ケネディ政権の文化政策においてです。日本では山口県宇部市が屋外彫刻展示として先鞭をつけたことが、だいたいパブリックアート関係の本には書いてあります。戦後建築の風景としての、モダニズムのビルとその手前のプラザ、そしてそこにおかれるパブリックアート(屋外彫刻)がいまではクリシェと化してしまいましたが、こうした状況自体はやはり変わるべきでしょうし、変えるべきでしょう。

それとこのZAIMというのは面白いですね。戦前の建物なのに耐震補強がされていないとかではなく、その名の由来であろう旧関東財務局のビルを活用し、横浜市の外郭団体が一棟まるごとアート関係の機能にあてていることが、です。横浜トリエンナーレの中心的機能を果たすとともに、アーティストインレジデンス施設やおそらく廉価なギャラリーなどをまとまった規模で揃えているようです。この建物が位置する日本大通り界隈も、戦前の建築をうまく活用している感じです。みなとみらいでは埋立地に収益性の高い現代的な超高層建築をまとめ、この日本大通り界隈では必ずしも収益性は見込めないものの、都市のプレスティージには貢献するかもしれないことを、戦前の良質な建物を活用して行う。横浜市のまちづくりの戦略性と懐の深さを垣間見たような気もいたします。