Mark Gelernter A HISTORY OF AMERICAN ARCHITECTURE, BUILDINGS IN THEIR CULTURAL AND TECHNOLOGICAL CONTEXT University Press of New England 2001


個人的にはアメリカ建築史の授業をむこうでとって以来のアメリカ建築史本です。ちなみに建築史の試験はある建築のスライドを約3分映し、そのかんに建築名、建築家名、竣工年、2-3行の短いコメントを書いていくというのが90分全30問とか、そんな感じだったと思います。こういう試験はアジア系の学生が強いのですね(石原俊明/ルイ・アルチュセール的な空虚な主体=条件反射なのか)。一般にアメリカ建築史の冒頭はジェファーソンに始まり、初の本格的建築家ベンジャミン・ヘンリー・ラトローブが登場し、さらに初のアメリカ人建築家リチャード・モリス・ハントが登場する、そんな感じだったようにも思います。まぁ日本ではこうした人たちはあまり知られていないでしょう。立石清重や左立七次郎や長野宇平治といった人たちが、日本以外ではあまり知られていないのと同じです。
カレッジの学生向けに書かれた教科書的な本という感じのこの本はしかし、先住民のプエブロなどから始まり、また副題に「文化」と「テクノロジー」という言葉が入っているように、この二つが全体の軸になり、その結果、単なる事実の記述ではなく読み物としても面白いものになっています。なおかつここでは「文化」と「テクノロジー」という概念がいささか対比的なものとして扱われ、またそこにこめた著者の価値観のようなものは掉尾においてはっきりと示され、途中何度かひやひやしつつも、必ずしも独善的とはならずなんとかバランスをとりながらすすんでいく、そんな感じの記述でしょうか。
本書の記述の特徴は直截的にそれぞれの時代の政治的経済的文化的イデオロギー的背景と絡ませながら、論を進めていることにもあると思います。たとえば1820年代、ラトローブの弟子にあたるウィリアム・ストリックランドらのグリーク・リバイバル建築は、同時代のギリシアの対トルコ独立戦争と明白に関連付けられています。この国民国家の誕生はギリシアを西洋の起源と考える欧米諸国にあらためてギリシア建築へのシンパシーを高めたと思われ、グリーク・リバイバル建築はこのことと関連していると思われるのですが、こうしたことはこれまであまり書かれてこなかったのではないでしょうか。アメリカでは政府関連の建物の多くがこののち20世紀に入るまでグリーク・リバイバルで建てられていきますが、そこにはおのずと自らを古代ギリシアと重ね合わせようとする意図も働いていると思われます。とはいえある建築様式がひとつの理想形を意味するという考え方自身には、本書はもちろん否定的です。
以前読んだときには第一次大戦について「すぐに終わると思われていた戦争は総力戦となり、戦争が終わるとすぐに回復すると思われていた秩序は、もう二度と元に戻らないものになっていた。この戦争で見せつけられたテクノロジーの圧倒的力は、多くの建築家や芸術家をして機械礼賛へと駆り立てさせた」と書いてあったと思ったものの、あらためて読み直すとそんなことはどこにも書いていない、をやぁ(もしかして他の本の記述と勘違いしたのか?)。とはいえモダニズムと20世紀の二つの戦争(テクノロジー)の関係については意図して書かれています。大雑把にいって第一次大戦後、戦場となったヨーロッパでは機械とテクノロジー礼賛、それに社会的アジェンダを伴ったモダニズムがそれまでのアカデミズムに代わって力を持ったものの、戦場とならなかったアメリカでは、これ以上他国の争いには関わりになりたくないという伝統的なモンロー主義への回帰に並行するように、逆にアカデミック・エクレクティシズムが巾をきかせたといった対照性が描かれています。本書には登場しませんが、フィリップ・ジョンソンやヘンリー・ラッセル・ヒッチコックといったのちのアメリカ建築に決定的な影響を与えた人たちはまた、この時代にヨーロッパにわたった「ロストジェネレーション」とか「パリのアメリカ人」とか言われた人たちでもあるでしょう。
建築史におけるモダニズムヘゲモニーは概して「空間」や「抽象性」などがそれまでの「様式」にとって代わったと議論されてきたと思われるのですが、ここでは「戦争」と「テクノロジー」がその契機として論じられているわけです。少し話はずれますが、モダニズムとテクノロジーと戦争を哲学的に考察したものとしてはダニエル・ピックの『戦争の機械、近代における殺戮の合理化』(法政大学出版局、1998、小林正人訳、Daniel Pick, War Machine,The Rationalization of Slaughter in the Modern Age, Yale University Press,1996)が、よく書けた本のひとつだったと思います。
そして第二次世界大戦後です。むかし読んだスタッズ・ターケルの『よい戦争』(晶文社、1985、中山容訳、Studs Turkel,The Good War: Win the War, Randdom, Random House, 1985)でも、世界を巻込んだこの戦争が終わってみると、ヨーロッパは破綻し、人類の預金残高はすべて唯一のスーパーパワーとしてのアメリカの口座に振り込まれ、アメリカこそが神に祝福された約束の地であるかのように思えたといったことが書かれていましたが、この時代の状況はやはりそうだったのでしょう。アメリカにおいてモダニズムが「勝利宣言」をなすのも、こうした時代が背景になっていることが述べられます。ヨーロッパの没落とアメリカの時代の到来がひとしきり述べられたあと、「モダニズムの勝利」が記述されます。「第二次世界大戦後のあらゆる展開の結果、モダニズムは新時代の表現に最も相応しいものとして広く受け入れられた。謹厳で歴史をもたないその形態は、いまや戦後世代によって多くの理念を表象するものと思われた。第一にそれは過去との決別を象徴していた。また大恐慌と二つの世界戦争による荒廃と悪夢ののち、輝かしい平和と繁栄の新時代を代表しているようにそれは見えた。第二に、モダニストによる合理性と効率的な建設テクノロジーの強調は、この時代のハイテクノロジーへの熱狂とじつに合致していた。第三に、モダニストによる合理的な問題解決というデザイン・コンセプトは、過去最大の戦争における論理的複雑性に取り組むのに似たような合理的な問題解決方法を用いた世代に、うけた。そして第四に、とりわけ政府や企業にとって、モダニスト・スタイルの視覚的な性質は彼らの自己イメージを要約しているように見えた。合理性、効率性、力の充溢や富、しかし個人的表現のわざとらしさのない信頼性、を持っているように見えた」(263頁)。
とはいえ著者の視点は、むしろこれらと対照的なところにあります。モダニズム以前の様式建築はときとして罵倒の対象ともなりうる(あるいはマンフレッド・タフーリのいう「効力的批評(operative criticism)」)ものとしてあったともいえますが、ここではむしろ「多様性の時代」として記述されているわけです。アメリカの歴史を振り返ってみると、南北戦争終結とその後の重工業化時代(post-bellum)、だいたい大恐慌あたりまで続くこの時代は大きな混乱もなく、経済も社会も比較的順調に成長した平和な時代でもありました。この時代を記述するにあたって「多様性」という言葉を用いているあたり、著者の評価軸を表明しているといえなくもありません。