ニューヨークのホームレスは面白い。紙コップに50セントを入れてあげると一曲歌ってくれたり、ドアを開けてくれたり。たまに1ドル入れてあげるとまるで救世主かなにかのように感謝され、いい気分にしてくれます。パースは晩年、そのニューヨークのホームレスでした。都会の仙人ですね。皆さんもこれからはホームレスのことを「都会の仙人」と呼び、仙人にやさしくしてあげると何かいいことが起こるかもしれません。
パースの演繹は"must"の論理であり、アブダクションは"may be"の論理であるとされます。可能性という点で可能世界論や様相論理、分析哲学を想起し、また英米哲学というと分析哲学/様相論理学を思い浮かべそうですが、1839年生れのパースは基本的には19世紀人であり、19世紀アメリカ哲学といえばドイツ哲学の翻案として始まった超越主義です。パース哲学に特徴的な三項性(ソシュールならシニフィエ/シニフィアンとやるところを対象/解釈項/記号とやり、ラカンなら想像界/象徴界とやるところをイコン/インデックス/シンボルとやる、そしていうまでもなくアブダクション/ディダクション/インダクションとやる)は、ヘーゲル的な三項性(即自/対他/対自など)からきているとされます。
さてアブダクションです。演繹が分析の推論とすると帰納アブダクションは拡張推論とされ、帰納は単純帰納のように部分の集合から射影的に導かれるとすると、アブダクションは別名リトロダクション(retroduction/遡及推論、後件肯定とは異なる)といわれるように、遡及的にまずある飛躍がある。推論としてはアブダクティブ、ディダクティブ、インダクティブとすすんでいくことになり、どれかが特別というものでもない。仮説形成にあたっての推論にアブダクションは必要ですが、それだけでも仮説は形成できません。
木から林檎が落ちるのを見て「そういうものだ」と思うこともあれば、そこから万有引力という超越仮説を組み上げることもある。推論というのも、技術の一つなのですね。

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理