黒川紀章没後ほぼ一週目










建築について話すのはこれが最後と語っていた今年8月の森ビルでのレクチャーでは、「イタリア未来派の連中は志願して戦場に赴き、わざわざ弾が飛んでくる方向に向かって突撃し、みんな死んでいきました。天才はやはり早世すべきですね。僕も60歳を過ぎて自分がまだ生きていることに気付いたとき、これからは凡人として生きようと思いました」といったことを述べていたように記憶します。
個人的には黒川氏はむかしからライブが素晴らしいという印象があります。まだ若かった黒川氏のライブを初めて目の当りにしたとき、その鮮やかな弁舌に、まるで魔法でも見たような衝撃を受けたものです。頭の回転の速さ、博学多識、奇想天外な発想、まわりにいる人たちへの気遣い、エキセントリックでありながらお行儀のよい物腰、人間工学的にみてぎりぎりの姿勢、表情のつくり方、人を鼓舞するように話すか、重い内容の話を低い声で粛々と話すかなど、変幻自在の話し振り。冗談やハッタリをかましているときでも、正論は外さない。
こうしたことはある程度は模倣できるのかもしれませんが、おそらく生得の才能という要素が大きいのでしょう。もちろん逆のタイプの人がいることも知っています。口下手で、声も悪く、何を言っているのかよくわからない。しかし文章を書くと、読んでいるものを引き込んでいくような素晴らしい文章を書く。
裏を返して言えば黒川氏の話を活字にしてしまうと、ライブのときの生彩がいまひとつ失せてしまう。先述した色々な要素がごっそり抜け落ちてしまうからかもしれません。オペラはオペラ座で見てこそ、演劇は劇場で見てこそ、落語は落語座で見てこそ、黒川節は生で見て聞いてこそ、なのでしょう。もはやできなくなってしまったのですが。
今年年頭の国立新美術館開館にあわせた黒川紀章展では、本人が頻繁に登場してセッションを繰り広げます。これを見過ごす理由はありません。今のうちに目に焼き付けておこうと思っていたら、なんとゴージャスなことに都知事選に立候補するという。文化人相手の建築・都市談義ではなく、刺されるかもしれない政治演説です。以下はその個人的備忘録。


まず主要四候補による政策討論。
都市政策に関しては、もしかしたら古臭い都市論を振り回すのかと思いましたが、驚いたことに70歳過ぎてなお最新のセオリーや動向も丹念に勉強しています。こうしたところが単なる営業話術とは異なる点だろうと思います。結果、討論というよりもほとんど独壇場といった感じなのです。都市論や都市政策に関してみれば、日本では黒川氏の右に出るものはいなかったのでありますまいか。


中野サンプラザの講演会。
2,222席ある大ホールの席のうち、埋まっていたのはその一割以下。それでもいやな顔一つ見せずに颯爽と登場し、にこやかに淡々としゃべっていきます。一通りの演説が終わったあと、予想外の闖入者の登場です。年配の女性が黒川氏を押しのけるように登壇し、マイクを握ってしゃべり始めたのです、あらあら。「石原慎太郎はハンサムで格好いいですよね。それに比べて黒川さんは(以下略)」と身体的特徴をあげつらって小馬鹿にした挙句、黒川候補のマニフェストに逐一つっこみを入れ始めます。それも誤解や素人の思いつきといったレベルのものも含めて、いささかサディスティックにさえ問うていきます。
さて黒川候補、どう対応するのか、これは見ものです。第三者が見ていてさえ、不愉快に思えることもあった質問者の態度ですが、黒川候補、あわてず、怒らず、相手を素人といって馬鹿にもせず、物腰柔らかく、丁寧に返答していくではありませんか、入るか入らないかも分からない一票のために。そのやり取りの過程は、名交渉人の交渉術を見ているようでもありました。「黒川をとっちめてやろう」という感じだった相手の態度は、最後は「あたし、黒川さんに投票するかも」という態度へと変わっていったのでした。


文京シビックセンターの講演会
「今日の朝、演説していると、黄色い声で『キショーちゃーん』の大声援を受けましてね。見ると選挙権のない幼稚園児の集団だったんです」という自虐ネタで始まったこの会は、先回とはまるで違ったものでした。「会場に孫が来てるんです」など、途中からほとんど選挙の演説なのか、ただの好々爺の話なのか、あるいは自分が幼児退行してしまったのか、なにがなんだかよく分からない、まぁそれもまた面白かろうというものなのか。


共生新党創立大会
共生新党の党員は全国でなんと100万人」(黒川)というハッタリは、いったいどこまで妥当なのか。この目で確かめるべく赴いてみることにしました。少なくとも100人よりは多い。もしかしたら200人よりも多いかもしれない。それはともかく、演説時だけでなく、他人の演説を聞いているときの態度もなかなか大したものです。人間工学的にいえば、どんなに我慢強い人でも20分に一度は姿勢を変えます。ずっとみていても、党首は大きく姿勢を変えません。表情もほとんど変えません。まるで宇宙人かなにかのようという形容も、この有様を見ていると当たらずとも遠からじでしょうか。
ともあれ、世間の誹謗中傷悪口雑言を屁とも思わず、さいごは歌って笑って逝かれました。なかなかできることではありません。


「建築家とはつらい職業である。この職能が持たざるをえない経済上の不安定に直面し、そのうえかくも多くのこと・・・工学、社会学、心理学、経済、ビジネス、政治、ファッション・・・について、かくも多くを知っていなければならならず、それでいて見えない幸運の四葉のクローバーを胸にさりげなくつけているようでなければならないからである」 アルフレッド・バー


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