SUBURBAN NATION

SUBURBAN NATION、The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream, Andres Duany, Elizabeth Plater-Zyberk, and Jeff Speck, North Point Press, New York, 2000





理論的には1960年代に著されたジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』を、形態的には1980年代に描かれたレオン・クリエのドローイングを髣髴させる『シーサイド』計画によって、その名が知られてきたフロリダ・ベーストの建築家集団DPZ(それにしてもDPZ、商業的には大成功だな)による著作。日本でもちらほらと聞くようになった彼らの「ニューアーバニズム」なる概念について書かれた後半部分への言及はここでは省くとして、戦後のスプロール現象からドーナツ化現象へ、そこから中心市街地空洞化にいたるメカニズムや過程についての記述や、戦後アメリカの住宅産業のあり方や、スプロールと伝統的近隣街区(このあたりジェイコブス的)を比較していく前半部分はたいへん手際よく纏められているので、勉強になります。
私がニューヨークで暮らしていた1990年代前半、既にアメリカの地方都市は概して中心部がまるでゴーストタウンのようになっていました。ところがそこから数マイル離れた環状道路や幹線道路を車で走ると、まったく裏腹にビッグボックスストアやレストラン、レンタルビデオショップやモーテルなどの看板が夜遅くまで煌々と輝いていたのです。あれから十年以上たち、日本の地方都市でも同じような光景を目にすることが多くなりました(このかん日本では大規模店舗法が撤廃され、まちづくり三法の改正や施行が政策的になされています。「外圧」によってこの政策を推進した日本側関係者も、日本の地方都市がここまで疲弊/変貌するとは、当初ほとんど予想していなかったのではありませんか)。
そもそもスプロール現象の発端は何なのか。本書によれば、第二次世界大戦直後の主として復員兵を対象とした持家政策とインターステートハイウェイの建設が、最も大きな二つの発端であったといいます。そして「この新しい経済的枠組みのなかで若い(シングル)ファミリーは、経済的に合理的選択をした。つまりレビットタウンである」。これによって1,100万戸の住宅が新築され、41,000マイルの道路が建設され、未曾有の郊外への拡散に弾みがついたというわけです。
1970年代には企業CEO宅に引きずられる形で、住宅だけでなく企業の郊外移転が始まります。
ここで付言するなら「地方自治体は負け犬だ」といったことがアメリカで言われだすのは、この少しあとです。企業の郊外移転によって法人税と良質な住民税による税収を失えば、公共サービスの低下が始まり、公共サービスが低下すれば、今度はそれを忌避してさらに良質な納税者が逃げ、他方で負担は増えていくという地方財政の悪循環が始まります。これが「企業も労働力も有利な条件を求めて移動できる。しかし地方自治体にはそれができない。地方自治体は負け犬だ」という物言いの内容です。この点で1992年に起きたロドニー・キング事件は、アメリカ特有の人種間緊張にくわえ、中心部に取り残された黒人貧困層と郊外の白人ミドルクラスのあいだの対立という、都市構造の問題でもあったかもしれません。この事件を契機とした暴動の直後、私は現地を見ましたが、何マイルにも連なる街区がまるで絨毯爆撃か砲撃を受けたかのように変わり果てた光景は、「暴動」というよりは「戦争」あとのようでもありました。
実際には企業は、こののち単に郊外に移転するだけでなく、体力のあるところは多国籍企業化し、国境を越えて資本の移動を始めます。もしも単純な郊外と中心の格差であれば、自治体が合併すれば、それで緩和されるはずです。
ところでアメリカ住宅史を扱った別の論文によれば、アメリカやイギリスでは伝統的に郊外一戸建て志向が強いのだそうです。
また付言すれば、スプロールの根底にある20世紀の郊外志向には、19世紀的都市の病巣としてあったコンジェスチョンへの反省という側面も、あったかもしれません。ニューアーバニズムから見ればまさに批判の対象であるル・コルビュジエの『輝く都市』なども、都市計画としては全くの失敗作であるにもかかわらず、今日なおそれが共感を呼び得るのは、造形力もさることながら「全ての人に輝く陽光を」という、19世紀に対する反省にして20世紀的な理想があったからかもしれないでしょう。
ともあれいずれにせよスプロールの負の側面が様々な観点から分析されていきます。その一つである郊外住宅の一類型は、アメリカン・ドリームのファストフード版として「マックマンション」と一部では呼ばれているのだそうです。日本で言えば「兎小屋」みたいな表現でしょうか。「マックマンション」はミドルクラス向け住宅の一類型ですが、アメリカの住宅はミドルクラス向けのこれら「マーケットハウジング」と、低所得層向けの「アフォーダブルハウジング」に大別され、なおかつ近年後者は外観上は前者に似せて造り、また分散させるべし、とされます。
その前者のマーケットハウジングですが、1970年には50%の家族が平均的住宅を購入できたが、1990年には25%まで低下したのだとか。理由はいろいろあるものの、最大のものは自動車とここでいわれます。一家あたりの自動車台数が徐々に増えてきた分、予算においても面積においても、住宅が喰われてきたというわけです。実は日本でも、地方のディベロッパーさんとお話をすると「この辺では一家に三台になりつつあるよ」という話は、既にときどき聞きます。日本の郊外もあと十数年もすれば、マックマンションだらけになるのでしょうか。
そしてその自動車が走るインターステート・ハイウェイです。このシステムはアイゼンハワー時代に副大統領を務めたアル・ゴア・シニアによって、物流効率を上げることを目的として造られています。余談ですが『不都合な真実』の著者にしてクリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴア・ジュニアはそのシニアの息子で、1990年代前半、製造業分野において日本に圧倒されていたアメリカ経済の起死回生を計るべく、情報流通を変革するインターネットの構築に尽力したことは、あまりに有名な話です。

自動車道路についてはいろいろとありますが、大きな問題の一つは渋滞でしょう。皆さんは今年春に行われた東京都知事選挙の争点の一つを、覚えていらっしゃいますでしょうか。郊外に環状道路を建設し、都心に流入する交通量を減らす(石原慎太郎)、職住接近を実現しなければ、渋滞は緩和しない(黒川紀章)。実際にはやってみないと分からないところもあるのですが、都市政策のセオリーからすれば後者が正しいとされています。

人間が計画する道路はヒエラルキーを持っているので、上位の道路がコネクターとなり、そこに交通が集中する、あるいは渋滞を緩和するために道路を建設すれば、逆に交通を誘発する(誘発論、「ロバート・モーゼスのパラドクス」)など。この書に限らずモーゼスのパラドクスは、アメリカの建築・都市を扱った書ではときどきお目にかかります。というか、個人的にはなぜか最近、よくお目にかかってしまう。この人はフランク・ロイド・ライトの奥さんの遠い親戚で、ソロモン・グッゲンハイム美術館の建設が暗礁にのりあげたとき、ニューヨーク市の職員だった彼はいろいろとライトに尽力してくれたとか。

いずれにせよ、いろいろと勉強になる一冊。




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