人がいないところや人工物のないところで断層が隆起したり、地面が揺れたり、土砂崩れが起こったとしても、それは自然現象のひとつです。震災と呼ばれるものは人間側から見た現象、あるいは都市的現象です。
関東大震災の様子を、あぁ東の方は大変なことになっているな、とのんびりした感じで記した文章が、村山知義の『演劇的自叙伝』にはあったと思います。村山は当時下落合に住んでいて、その頃の下落合は震災の及ばないのどかな田園地帯だったのでしょう。
関東大震災の記録を見ると当時の東京主要部、つまり皇居から東側はほとんど廃墟と化しているのですね。最大の原因はもちろん火災です。昼食準備時に地震が起こったことや台風による強風が作用したこともありますが、木造密集家屋が多かったことも「地獄の業火」とも形容したくなるすさまじい火災の原因だったと思います。西側は皇居が延焼防止帯として機能し、東側の一部は荒川を飛火したところで対岸の消防が消し止めています。直後に撮影された写真を見ると正視にたえぬ焼死体の山が次々に出てきます。東京大空襲による被害に匹敵するか、それより酷かったのではないでしょうか。
江戸の街は、アムステルダムベネチアなどと同じく、だいたいこの時代に出来た街の特徴として、運河がめぐらされていました。運河の役割はもちろん物流にあったわけですが、木造家屋が多かった江戸の場合、延焼防止帯や消火用水の供給装置としても機能していただろうことは容易に推察されます。火災とは関係ないですが、気化熱による夏の気温上昇抑止の機能もあったかもしれません。
今日の東京では運河も延焼防止帯も大量の水の供給装置も姿を消しましたが、木造家屋の密集地帯、いわゆる木密が山手と下町を問わずなくなったわけではありません。
日本の文化人には、モダンな建物はよくなく、江戸情緒の残る木密こそ素晴らしいとおっしゃる方々がいらっしゃいます。もちろん「江戸情緒」や「下町人情」などは理解できます。とはいえ何年か前のThe Japan Timesのコラムで皮肉られていたのですが、こうした言説は部外者からみれば無責任で紋切型の奇異なものに見えることもまた事実だろうと思います。ついでに言うとこうした発言は1960年代以降に登場してきたのではないかと、個人的には推測します。ジェーン・ジェイコブスが『アメリカ大都市の死と生』において語ったことを東京において平易に翻案すると、そうとも言えるからです。スノビズムですね(繰り返すようですが殺伐とした建築や街ではなく、情緒とか人情のある建築や街はどうすれば可能あるいは維持できるのか、というのは真面目に考える価値のある主題であると思います)。
さて、耐震補強をするにはいくらかかるのか、とはよくきかれる質問です。答えはどこまでやるかによってピンキリです。基礎の部分まで補強しようと思えば家が一件建つほどかかるでしょう。主に木造在来工法の住宅を対象に自治体などが補助金を出している場合では、数千円から50万円程度の補助となっています。倒壊の危険がある木造住宅の場合、八隅を鋼板とラグボルトで補強すれば、とりあえず最初のPS波による倒壊は免れるという案もあり、これだと60-70万円程度ですむともされます。
また鉄筋コンクリートだから大丈夫というわけでもありません。1970年代に建てられたいわゆる旧耐震によるマンションやオフィスビルは当然、耐震補強が必要です。1970年代に建てられたものだとすでに減価償却を終わったか、終わりつつあるものなので、テナントさんが入っている場合はオーナーさんの社会的責任ということになります。しかしながらなかには「嫌なら出て行けばいい」というオーナーさんももいらっしゃるようです。なんだか「これはおれの財産だから何をしようとおれの勝手だ」といって、多くの芸者を焼死させた関東大震災のときの吉原の置屋の経営者が彷彿されます。
また耐震補強すればすべてがさらに利用できるというわけでもありません。「リフォームをしたいんだけど」と呼ばれ、一等地の瀟洒なマンションにお伺いしてさえ、話を聞いているとこれは躯体の鉄筋の錆化が進行しているのではないか、と思えるものはあります。さらに構造だけでなく、見ていくとアスベストが露出していることさえあります(アスベストが社会問題化するのは1980年代以降です)。

ところで耐震診断は建築構造事務所などでは、10万円程度でやってくれるところもあります。弊事務所でも受け付けています。よろしければどうぞ。