今年3月29日のところで“earth hour”というイベントについて触れましたが、日本からは地方自治体の杉並区が参加したとか。
3月29日では「趣旨の是非はともかく」とも書かせていただきましたが、たとえば電力会社の説明では夜間は余剰電力を抱えています。つまりもしも地球環境問題を考えよう、無駄なエネルギー消費をやめようという趣旨で夜間照明を消灯したとしても、ほとんど意味がないのではないかということです。照明は可視的なので電力消費の象徴に見えるだけで、実質的には昼間のピーク時の電力消費を落とさなければあまり意味がないことになります。発電タービンは重厚長大産業の産物のようなもので、いったん回転を始めると小回りがききません。
つまりイベントとしては自己満足的なパフォーマンスの域を出るものではないのではないでしょうか。アートパフォーマンスとしては面白いかもしれません(作曲家のカール=ハインツ・シュトックハウゼンは「9.11は究極の芸術作品だ」という発言をしている。必ずしもそうとは思いませんが)。
むかしアメリカで生活していたころ、大量のエネルギーを消費しなければ維持できないシステムを造り、また大量のカロリーを摂取していながら、「リサイクル」と称して古新聞等を大事にしている姿を見てその当時はいささか滑稽に思ったものです。こうした消費社会の姿はしかし、今は日本でも日常になってきているように思います。そして日常となると、それが当然のように思えてくるから不思議です。
もっともたとえば電力は事業用も家庭用も一括して生産し、それをはるばる高圧線で送って末端で変圧して使用しているものの、もっと効率的な流通のあり方があるのではないのかとか、個人的に勝手に思いつくことはあります。昨年の中越沖地震では柏崎刈羽原発における被害が注目されましたが、首都圏の電力消費の一割を日本海側の柏崎で生産し、本州を高圧線で横断して供給していたことを初めて知った方も多いのではないでしょうか。そのうえ原発の発電原理は蒸気機関と同じですから、エネルギー効率はせいぜい15パーセントです。すごいなぁ。
あるいは夜間電力を蓄電するシステムを開発して昼間に出力するとか、東京では東京電力東京ガスが競合していますが、ニューヨークでは確かコンソリデイテッド・エジソン社が一括してエネルギーの供給を行っていたように、実は電力とガスの効率的な棲み分けはあり得るのではないかなど。
消費側においては、たとえば冷蔵庫やエアコンやエコキュートなどは使用目的が異なるだけで原理は同じなのだから、ヒートポンプ・システムとして一括すれば効率的な熱運用ができるのではないか、といったことなど。もっともこうしたことは個人レベルの話ではありませんが。
うろ覚えですが学生時代に読んだ室田武の本では、地球はその表面において太陽熱を受け、熱要素が大気中を上昇して成層圏において断熱膨張する、これが地球のエネルギー収支であるといったことが書いてあったと思います(実際には反射とかステファン=ボルツマンの法則などが絡んでもう少し複雑になります。さぁ受験生の皆さん、ステファン=ボルツマンの法則とは何でしょう)。
地球自体が巨大なヒートポンプ・システムであるとも言えます。