私の留学時代の同級生でもある姜鎬元さんのお誘いで、中原まりさんのレクチャー@東京電機大学にお邪魔する。中原さんは現在アメリ国会図書館のアーカイビストをされているそうです。前回お目にかかったのではかれこれ4年前で、麻布十番のイタ飯屋で故人である日本の某有名建築家アーカイブの図面保存管理の杜撰さを嘆いていたのが、なぜか個人的には印象に残っています。いずれにせよ今回はInformation literacy and architectureと題し、建築アーカイブについてのまとまったお話です。
前半は、data, information, knowledge, wisdomからなる層状構造といった図書館学的な話を、ご自身のMMW(マッキム・ミード・アンド・ホワイト)研究などを例として解説。後半はおもにデジタル・アーカイブについてのお話。日本でもアーカイブとか図書館情報学という言葉をちらほら耳にし出しましたが、お話を聴いているとこの分野における日本の状況は20年くらい遅れているような気がしてきます。


ところで以下は建築アーカイブとは異なる話で、個人的な与太話。
戦前の日本の公共図書館閉架式の有料閲覧で、戦後のアメリカン・センターでの開架式・無料閲覧が戦後の日本の図書館の基本になっているとききます。開架式で現物を手に取って見ることができ、さらに貸出が可能という「気前のよさ」に、当時の日本の人たちは驚いたかもしれません(のちのロストウの「経済成長段階説」までが髣髴される)。
戦後図書館建築の転回点としてしばしば語られるのは鬼頭梓氏の1973年の日野市立図書館で、この建築が図書館関係者からの評価が高いであろうことは分かり、また東京郊外の住宅地に相応しいコージーでコンパクトなものであることもよく分かります。もっともそれ以前から戦後型の図書館は造られています。鬼頭氏は図書館建築の基本はフラットフロア・ノンステップとどこかで語っていた気がしますが、オフィスや工場建築の基本も、それは同じです。書架をheavy dutyと見做せば、抽象的な設計原理は同じかもしれません。
ところでかれこれ10年くらい前に林望さんたちによる「(公共)図書館は無料貸本屋か?」といった議論があったと思います。本を書架に並べ、それを貸出する、確かにそれは文化に貢献してきたでしょうが、しかしリクエストに応じていると結局ベストセラーの比重が多くなり、そうなると公共図書館の役割とは何か?といった議論だったと思います。最近では書籍や雑誌だけでなくDVDを扱うところも多くなり、TSUTAYAが企業活動として行っていることを公共サービスで行うのかという議論もあるかもしれませんし、娯楽と教養のあいだの一線をどこで引くのかという議論もあるかもしれません。
今年一月に東京都立中央図書館の利用方式が、まず入口でバーコードのついた入館証を受け取り、館内の処理はすべてこのバーコードで行うというものに、変わりました。処理方法を簡略化し統一すれば、あとは多様なメニューが提供可能です。もっともこれは東京都立中央のようにスケールメリットがあるゆえに可能なことで、また逆に建築アーカイブや建築ライブラリーのようにカテゴリーがはっきりしている場合も、まだ話は明快かもしれません。しかしそうでない一般的なライブラリーの存在意義のようなものはどうなっていくのか、いっそのことメディアテークのような路線に走っていくのか、その運営方法はどうするのか、まぁいろいろと議論はあるのでしょう。