その看板屋のおにいさんは「簡単ですよ」といって、高いビルの屋上から袖看板へと命綱もつけずにひょいと飛びのった。わたしは少しだけ後悔した。高いところの採寸にはレーザーを使う方法もあるのだが、「あんな高いところどうやって採寸するのか、いやぁ見てみたい」と言ったのだ。「簡単ですよ」、そういって幅が20センチあるかないかのステンレスのつるつる看板のうえに、彼は軽業師のように飛びのったのである。
しかも「ぐらぐらする古い看板に比べると、たいしたことないですよ」と余裕を見せ、あたりの景色を満喫するかのような仕草をする。高所恐怖症の人なら下を見ることさえできないだろう。
そのうえもうじゅうぶん採寸しただろうと思われるのに、マニアックなディテールの採寸まで始めるではないか。ここで突風が吹いたり、足がすべったり、もしかしてこのおにいさんが花粉症でくしゃみでもしようものなら一貫の終わりではないか、とこちらが心配してしまう。それはスピルバーグの映画を見ているより、はらはらする時間であった。
比較的大きな住宅の上棟時、幅120ミリしかない大梁の上を、体操選手よりも軽い身のこなしで、鳶のヲイチャンが走るでもなく歩くでもなく滑るでもなく、命綱もつけずにひょいひょいひょいと移動していくのを初めて見たとき、「をぉっ」と思ったものだ。
こうしたことはたぶん、もう早い時期に身につけておかないとできないのではないかと思う。脱サラで鳶やりますとかでは、あまりいい鳶にはなれないのではないだろうか。


ずいぶん昔に読んだのでうろ覚えだが、宮大工だった西岡常一はその一連の書で、やはり宮大工だった祖父か父による教育について述べていた。個人的に印象に残っていることのひとつに、常一少年を農業学校に進学させたということがある。「大工をやろうと思えば、まずは農業を勉強すべし」という考えからである。
こうしたことは、あとになってじわじわと分かってくることではなかろうか。