(ピクチャレスク/承前)


バークの審美分析に共感してはいたものの、ジョージ・メーソンによって性格化されたバークの「教条とシステム」を、プライスははっきりと拒絶する。ナイトから見れば、バークもプライスも「感覚印象」を強調し過ぎており、これはまったく審美的熟考には向かない、まったく構造化されていない審美経験に結果するものだった。ラディカルな経験主義に向かう、かくも直接的ではかない印象主義では、感覚刺激のあいだの結合を説明できなかったのである。審美的反応を結合すると同時に、記憶や、想像力や、情熱を説明できる方法をナイトは要求した。システム化された組織による専制を回避したいという彼らの考えがあったとしても、しかしこうした構造が簡単に退けられるわけではあるまい。
議論を見守る同時代人の一部には、プライスとナイトの議論は些細なことに見えたかもしれない。しかし混合の保存に関して彼らは共通していたように、この議論を通して我々には見える。彼らは相手の議論に、システムとの潜在的妥協をそれぞれ見ていたのである。一貫した構造と変わり行く感覚刺激のあいだのバランスを決定することにおいて、ナイトは構造を多く含み、プライスははかない刺激を多く含んでいた。専制と放縦のあいだのバランスをどこに取るかのまさに一点において、プライスとナイトは異なっていたのである。ナイトは専制を恐れずに放縦を恐れ、プライスは放縦を恐れず、専制を恐れたのだった。
ピクチャレスクによって推奨された、自然と人工の混合とは反対に、庭園術のある著述家たちにとっての自然自体は、失われた起源として、回復すべきもののモデルとして表象されるものだった。彼らにとって混合や混乱のいかなる提案も、まったく不自然に見える風景構成でしかなかった。エルムノンビル侯爵R.L.ジラルダンは一七七七年に出版され、一七八三年にデイビット・マルサスによって英訳された書において、この議論に貢献したフランス人である。デイビットは人口増加の予測者にして経済学者の(トマス・ロバート)マルサスの弟である。英訳版『風景論』序文において、マルサスはジラルダンを支持しているが、それはこれがウィリアム・メーソンの「とても美しい詩」や、庭園術に関するホレス・ウォルポールの保守的コメントに提携するものだったからである。マルサスはジラルダンの書を敬愛していた。人間の自然に対する関係の起源を取り戻すという、ジラルダンの欲求に対してだった。ルソーのパトロンにあってこの欲望は、もちろん驚くべきものではなかろう。美と有益を結び付けることで、意味という層における優雅な批評に、あるいは表象批評ともに、マルサスは関わらなかった。文化規範の正統性は自然規範との並行性にあるという、当時の議論との関連でユウェナリスや、キケロや、テオクリトスや、ウェルギリウスの古典の断片を、マルサスは引用する。古典の先行者たちによる荒れた自然への悦楽はもちろんよく知られていた。ホレスはその書簡で、森や、田舎暮らしや、ウェルギリウスによる対話形式の田園詩や、ゲオルギカの農耕詩が薦める質素な生活を切望しているが、イギリス・ジェントルマンはこうしたイメージを自家薬籠中のものとしていた。
ドライデンによるユウェナリス風『風刺詩』を引用することで、マルサスの序文は「原生植物」に対して「大理石の洞窟」を対置する。前者はまた「地場の天然石でできた壷型装飾」によって優雅に装飾されてもいる。もともとの植物が自然の産物とすれば、いかなるものであれ人工物はそれに対立するものだろう。ただし地場の石でできたものは例外である。人為によって適所から引き剥がされているにせよ、自然素材は自然らしさへの鍵なのである。洞窟が自然を示唆しても、大理石製ならそれは自然への侵犯である(もちろん地場のものは例外である)。自然の徳を確立するにあたってキケロもまた、引かれる。法についての第二対話でアッティカ人は修辞的にキケロに問う。「これらの自然の滝、そしてこれらの自然の河川はかくも素晴らしい対比をなしている。マーカス、これらを見た者は我々の壮麗な東屋を侮辱しなくなるだろう。逆に人工ナイル川や、大理石の海を嘲笑するようになるだろう。このあいだの議論で君は全てを自然へと帰した。とりわけ想像上のものについてそうした。だとすれば彼女(自然)はわれわれを支配する女王なのではないか」。幻想に関する古典のあり方は、それを構成している世界から発している。ローマ人たちは「地中海沿岸に形成された世界庭園内にかくも多くの駅(今日の旅行者にとってと同じ意味で)を有する風景世界」のなかに、住んでいていたのである。詩人たちはそれらを見てまわり、自分たちが見たものから詩篇を構成していたのである。
古代ギリシア人や古代ローマ人たちは自然の元々の状態に近いところにおり、おそらく自然を変える能力もあまりなく、自然の場面をただ選択し、ただそれを崇めるだけだった。古典の風景を知るにはもっぱら詩を通してであるが、それは穴掘りの道具ではなく、幻想を強調するものである。「現代庭園術が自然を模倣し、構成し、あるいは創造さえすることに栄光あれ」。古代の先人たちとは異なり、一八世紀イギリス人は自分を受動的とは思っていなかった(もっとも選択や崇拝は、今日のイギリスの新しく便利なハイウェイを動き回る旅行者も同じであるが)。いまや庭師は古代モデルに霊感を受けつつ、もっと直接的に介入する。手始めに三つの介入のあり方が列挙される。模倣、構成、そして創造である。起源(オリジン)から乖離していながら、いまやオリジネーションの最高位へと上っていくのである。
伝統的な古典教育はイギリスのジェントルマンに、詩篇のなかの描写と、馴染み深いイギリスの情景を結合するための踏み台を与えた。キケロの一節は「イギリス庭園の最も完璧なもの」となったのである、ダービーシャーにあるマトロックは「多くの的確な性格において(テッサリアの寺院がある)古代のこの有名な谷に似ている」。
古典文化の伝統および自然はそれぞれ、安定し、かつ真実味ある審美的構成のための土台としてあった。この限定された参照源への訴求は、人間の慣習と、自然のあいだに矛盾を起こすように見えると議論できるかもしれない。しかし古典文化も自然もいずれも、その無条件な信頼性という主張を、自己模倣的な構成の認知に置き換えようとしているわけではない。目に見える変化の背後にある一貫した均質化を阻止するように見える点においてのみ、混合自体が安定し、最善の条件であると提案され得るだろう。現象を全体として絶えずこうして再フレームしていくことは、確実性の慣性を克服するのに寄与もしている。
詩集『風景』の二年後に『文明社会の進歩』(一七九六)を著したとき、ルクレティウス的あり方を称揚することで、ナイトは混合の理想に忠実であり続けていた。古代ローマエピクロス派によるラテン語は見かけの平易や俗語を禁じながら、「超自然的崇高」を無理して求める莫大な尽力は避けているように、ナイトには見えた。尽力自体は一瞥において明らかであり、見かけの平易や俗語もすぐさま見出されるゆえ、ナイトはピクチャレスク的不確定、あるいはピクチャレスク的神秘とも呼ぶものを提唱する。全資源を一気に消尽することなく、かつ能力を出し惜しみするわけでもなく、労力と資源のあいだの不均衡に注意を向ける詩篇を、ナイトは引用する。見かけの平易は〈さりげなさ(sprezzatura)〉ではないし、俗語は何気なさではない。
農業のためであれ、風景のためであれ、土地の改良は、この労力と資源の考えにほぼ似た理想によって実行され得る。その最大のものの一つはレスター伯爵が気付いていたように、意図と結果のあいだに現れることがあるずれである。ホーカムでの彼の大仕事が完成するに当たって彼は補足するように述べる。「自分の領地で見渡す限り自分の家しか見えないというのは憂鬱である。周辺を食い尽くした大城のなかの大城である」。これはロバート・ポッターの『哀れな法の観察』(一七七五)の注のなか、ホーカムと似た状況にある村の村人の視点を明らかに代弁した「荒れた村」というオリバー・ゴールドスミスの作品について言及したあとに述べられている。もしも自分だけの構成を制作するなら、混合や差異の抑圧は理に適ったことに見えるかもしれない。しかしながら全てが排除されれば、現れるのは空虚である。構成を完璧にする過程で自分の力を出し切らないことは最初は奇妙に見えるが、しかし一度全てが完成されてしまえば、抑圧された混合へのノスタルジアのようなものとして、力を抑えておくべきだったという欲求がむくむこと起こってくる。
混合はシステムに反対する。ナイトもプライスもともに、庭園術だけでなく、文明社会においてもシステムがもたらす壊滅的効果に反対だった。詭弁はナイトにとって専制システムのモデルだった。その唯一の特徴は冷血である。抽象的理性は冷たく機械的で、選択や偏差を認めない。利己的で、限定的で、自分しかない。それは「活気を痙攣させ、情熱に冷水を浴びせる」。「幻想や物語を殺」しもする。これを解毒できるのはミューズの歌声である。死と厳格な規則に反対し、生命と技芸が協働する。幻想や物語は排除されず、信仰への欲求も冷たく抑圧されることはない。心温かく十全に働き、それでいて疑義や対立する欲求のおかげで無節操というわけでもない。充分な数の物語を吟味すれば「真実」がそこから近似され得ると想像するのは、ここから遠くなかろう。
複合性は生気のしるしである。「込み入った利害から込み入った法が生れる。先見的な知恵で計画された場合より、もっとバランスがとれた共和国を生み出すのはこれである」。文明の構造の蓄積や、変わり行く環境にどんどん適応することを、ナイトが支持する臆見は正当化する。ある時点におけるこうした関係複合性のみで物事を構想することは、浅はかというものだろう。こうした浅はかな傲慢のあり得る唯一の結末は、なければならない差異を平均化し、生気に満ちた混合を抹消するしかできない専制的な抽象体である。民主的構造を支持するものとして生起するもののうちにプライスが見出したものは、国家的規模での混合である。「それぞれがそれぞれの場所を、自然や絵画から引き出された一般概念に従って改良すれば、改良様式の多くの多様性がいずれ生れるだろう」。
フランス革命の暴力的平均化にもはや耐え切れなくなったエドマンド・バークは、社会的・政治的複合蓄積をシステム的に破壊するというまさにその点で、抽象的な政治理念を攻撃した。長年の友人であり、議会での同僚だったチャールズ・ジェームズ・フォックスから、この攻撃は彼を隔てることになる。フォックスはフランス革命を支持していたからである。それも臆病な英国人たちが何の手立ても防衛もしなかったときの話ではなく、ずっとたってからもそうだった。ホイッグの二人の政治家のあいだのこの鋭い違いは、混合に対する異なるスケールでの彼らの支持に帰されるかもしれない。フォックスはより幅広く、より確信に満ちたスケールで、一方でホイッグの高官のなかでは新参者だったバークは、より狭く、よりびくびくしたスケールで混合を支持していたというわけである。個別の現実の出来事がはっきりとした計画なしに蓄積していくというバークの考えは、ピクチャレスクな構成の理念に並行しているように見え得る。イギリスを今日の姿へといたらしめた歴史的出来事はひとえに、まさにその土台をなすと称する抽象性/一般性によってのみ危くされる。何であれそうした主張自体が、確固とした現実を、信頼できない機械的な精神へと置き換えようとする邪まな試みでしかなかったからである。フォックスの確信はシステム的な冷淡へと容易に転化していくものだが、バークのものは、必要でなければいかなる連続性をもたえず断ち切っていけるものだった。フォックスは個人的なレベルではいい友人である。しかし抽象原理へのそうした小スケールでの結合を、バークは喜んで犠牲にできたことを認めるなら、この対極的相違が見えてくるはずである。
混合には、混合されるべきものが既になくてはならない。ランドスケープ・デザインではこれは二つの所与を結ぶことを意味する。自然と、そして人間による人工物が、その二つの所与である。少なくとも自然が変化し、時間が経るに従って現れてくる不規則性と調合された、あるいはそうした不規則性と対比をなす形態配列の痕跡を、典型的にピクチャレスクな景色は含んでいる。自然の側か、あるいは人間の側のいずれかの起源とされるものからピクチャレスクは始まり、徐々にいわば移行していくゆえ、真性起源を追及する無窮後退に陥ることはない。その結果、確固としたアイデンティティを生み出そうというきわめて無駄な試みがやるような内的証拠によって、ピクチャレスクは自らを定義することもない。そもそもの始まりから自らが必要とする要素を得ることでそれは機能し、自由に組み合わせ、配列もする。こうした自由は、オリジナリティに訴える何かユニークなものから始めねばならないという主張に固執する者からは、雑多に過ぎないという非難を浴びるものでもあろう。
こうしたことは二○○年間の考察による解釈のみから来るわけでもない。混合の議論にほとんど避け難く続いた誤解に、ユベデール・プライス自身も苦しんでいた。ランスロット・ブラウン同様、ハンフリー・レプトンは自分が理想とする庭園術に従って掘り、水を入れ、植樹を指揮していた。彼にとって考察など不要であり、おそらく迷いでしかないものだった。『ピクチャレスク』初版後にプライスに宛てた書簡で、絵画や哲学の思考のいかなる拡張をも嘲り、人工物と自然を混合しようとすることに生起する矛盾に、レプトンはプライスを嬉々として捉えようとした。プライスはこれにこう応える。「私の本を読んだことがなければあなたの書簡を読んだ人は皆、私が密林のなかで人生を過ごし、動物以上に柔らかい自然の美など知らない、まるで虎か何かのようにおそらく思うことでしょう。また違った種類の非難にも私は晒されています。頭のおかしなギルピンさんの友人たちによって、何ら荒さも、唐突さも、ピクチャレスクもない滑らかさに恋に落ちてしまった者であると私が紹介されても、驚くべきではないのですから・・・彼は私を偽の友人とあしらうかもしれませんし、家の近くが小奇麗で便利であるべきことを認めた輩が、ピクチャレスクを真に愛する者たり得るだろうかと訊いてくるかもしれません」。あるものが優勢である形態と、その優勢を壊すべく混合された形態の評価の反転は、いかなる絶対的読解をも掘り崩す。構成を取り巻く状況が変われば、その構成部分の評価も変わる。結果、真のゴールを求めて変化する無駄な行為の累積に見えるものへと、プロセス全体が容易に転化もする。「平等は奇形であると言うにほとんど近いかもしれない」という観察は、ピクチャレスクが実際に何であるかという全体概念がいかに馬鹿げたものかを、証明するように見えるだけである。
もしもプライスが、荒さ、不規則性、唐突な変化以上の何物でもないと誤解されているピクチャレスクの提唱者とすれば、これら諸特質とその対極質とのいかなる混合も、この薄っぺらな確信の明白な証拠である。とはいえレプトンの誤解は、プライスが当初語ったことから全くかけ離れているわけでもないとは言っておくべきだろう。レプトンの混乱を理解するのは難しくない。荒さ、苛立ち、そして新奇をプライスがいかに評価するかを読んだのち、住宅のまわりを描写するのにレプトンは次のように続ける。「技芸(建物)から簡素で飾らない自然に一気に出れば、それは突然過ぎる移行であり、何かグラデーションや適切なものが欲しい。これは通常、眼や心を楽しませるのに必要なものである」。荒さ、不規則性、唐突な変化がそれ自身においてのみでなく、混合にとってもなぜ重要なのかをプライスが明確にする機会を、レプトンの書簡は喜んで準備したのだった。あまり目に留まらず、曖昧で、概して美しくもないものに拘ることで、ある人たちは、プライスを「単に粗野でピクチャレスクな情景が好きなだけでなく、他のもの全てを排除した」と主張していたのである。
さらなる誤読を解こうとしてプライスは結局、自分の作品の「最終目的」は、滑らかさ、くっきりしたもの、形式性といったものの質を、その質を廃棄することも無視することもなく、「まったく対極質の・・効果」と、混合することに落ち着くと述べる。「この混合は、いかなる狭隘な排除のシステムよりも優れ、明白な主張を持っているように見える。それゆえリベラルで教養ある精神の人々のあいだで、そうしたシステムが存続するとは思えない」。
リベラルで高度に教養ある精神の人々への訴求は、ランドスケープ・デザインにおける議論と、この主張がいかになされ、いかに支配されるべきかというもっと広い問題の結合を強調する。
 
自分自身の独断的意見を確立するために他の専制的な意見と戦ったと疑われていることを、私は大変申し分けなく思わねばならない。だが病気の種類にも病気の程度にも医者は考量せねばならない。そして不毛地、単調、結合の欠如は、モダンな改良による重度の病気なのである。もしもこれと対極のシステムが勝利していたら、(そして流行が依拠している改革では、そうかもしれないが)いかなる種類であれあらゆる建物が樹木を纏っていたら、あるいはピクチャレスクの大流行によってそれらが異なる高さや空きの絶えることのない多様性をもって、あるいは不規則な集中や疎隔をもって素晴らしくデザインされていたら、今度は壮麗さ、優雅さ、単純さからかくも隔たっていることに対し、同様に有名な建築家や画家の作品のなかから私は自分の議論を始めねばならない。一方での平板や単調、他方での気まぐれな多様性を最もよく保つ手立ては、建物ともどもいかなる物においても、壮大さ、美、ピクチャレスクを構成しているものを注意深く研究することである。


プライスのこの抗弁は視覚刺激における構成と、社会構成のあいだの並行性を示している。ランドスケープ・デザインに関する彼の推奨はすぐさま、社会構成に関する推奨として読めるものである。ある領域を別の領域と直接関連させるというもつれによって、彼の論点は誤解される。主要なものは一つではなく、それゆえそれは他によって描写される。構成という議論は両者に訴求するものなのである。
議論を可能な限り明白にするなら、プライスは部分そのものにおいてではなく、部分間の関係において自分の作品を位置づけたと言える。ピクチャレスクは荒さ、不規則性、唐突な変化の内在的価値に関するものではなく、より大きな構成に貢献するものと認めるのは、唐突かもしれない。その動機は周縁的な特質を失うことなく、混合によって物を生き生きと保ち、生気を維持し、いかなる選択形式のシステム的適用であれ、それが専制化する傾向に抗うことにあろう。